(財)長野経済研究所と私!
社会人としての私のスタートは、まず、銀行員でした。でも、30余年の銀行員生活の中で、私は、「長野経済研究所」の全身である、「経営相談所」の勤務も含めると、およそ、20年近くも調査・研究部門で過ごしたのです。
銀行実務を経験した期間の方が少ないという、普通の銀行員とは少々変わった経歴を持つ銀行員でした。無論、今にして思えば、それはそれなりきに、自分にとっては、大いに意義のあるものでしたから、全く後悔などはしていません。



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 長野経済研究所での仕事と自費出版のこと

経済研究所では、調査部門ではなく、経営相談部門に属していました。経済研究所は、元々、銀行の本部組織の一部門である調査部と経営相談所とが統合して、別組織の財団法人として設立されたもので、私は、以前に経営相談所勤務の経験があったからでしょう。

担当は法務相談でした。私一人だけです。
銀行のお取引先や一般の方々の法務に関するご相談に乗るというわけですが、自分一人で十分な相談に応じる事が出来るわけがありません。法学部の出身というだけの事で、貸出金に関しては、管理回収の実務経験はあるものの、法務の専門家ではありませんから、当然です。また、その業界特有の取引慣行も知らなければなりません。銀行の常識が、その業界の非常識であったり、その逆の場合も、当然にあります。

それだけに、自分ではよく勉強はやった積りです。それが、経済研究所を離れた後になって「時事法務の諸問題」という本を自費出版する事になろうとは、その当時は、夢にも思っていませんでした。今、この本をめくってみると、当時の自分の興味は、金融法務よりも、むしろ、もっと広く企業法務の方向を向いていたことがわかります。


 企業内研修の外部講師をつとめる!

経済研究所の会員企業から、しばしば、企業内研修会の講師として招かれました。担当が法務でしたし、出身が銀行員ということもあって、そのテーマは、専ら「売掛債権の管理と回収」に限られていました。

依頼先の会社の会議室で、マイクもなしに、2〜3時間も話をするということは、大変な労力を要します。
また、企業によって、それぞれ事情が異なりますから、こちらの方から、一方的な話をするというわけにもいきません。業種によっても、その業界特有の商慣習がありますから、毎回、同じ話をするということもできません.
担当者と予め綿密に打ち合わせをしておく必要があります。それにも拘わらず、会場へ行ってみたら、いきなり「当社で使っている継続的取引約定書について、営業マンに解説してもらいたい」などと言われ、閉口したこともありました。
その反面、銀行の窓口や決算関係の書類を見ただけでは伺い知ることは出来ない、その会社の実態や業界事情を知ることが出来、また銀行の外部の方とお知り合いになれたのは、その後の人脈づくりに多いに役立っています。

業界団体の総会や建設会社の協力会の総会などでも、決まって、私を「指名」して下さるところもあり、今でも、年賀状のお付き合いが続いている方もいらっしゃいます。
ただ、講師紹介の際に「本日の講師の先生は・・・・・」と、「先生」呼ばわりされるのは、ちょっと気恥ずかしい気持がしたものです。もう一つ困ったのは、その後の懇親会と称する大宴会です。アルコールの方は、からきしダメな私は、何としても、間をもたせなければなりません。そこで憶えたのが、カラオケです。勿論、随分と投資もしました。お金の掛かった「先生商売」でした。


 「経済月報」へ「法律相談コーナー」を寄稿する!

長野経済研究所では、多くの刊行物を発行していましたが、そのメインとなるものは、やはり、月刊誌「経済月報」です。当時、ほとんどの金融機関は、シンク・タンクを有していましたが、そのステータスを競うものは、定例的に発行する「機関紙」でした.
長野経済研究所でも、「経済月報」の内容には、かなり力を入れていました。

私は、毎月、その中の「法律相談コーナー」を担当し、記事を寄稿していました。注目を集めている新法の立法の動向は、もちろん一早く採りあげましたが、「法務ニュース」とはやや趣を異にし、どちらかと言えば、実務的なテーマを中心に据えて書きました。
手形・小切手を巡る実務問題が多かったように思います。
手形理論は、突っ込んで行くと、かなり難解な理論にぶつかりますので、なるべく、判例を中心としつつも、「解りやすく!」をモットーとしたつもりですが、編集長からは「むづかしい!」と言われ、突き返されることが、しばしばありました。

解り易く文章を書くということ、つまり他人に読んでもらえるように書くことの難しさを、痛感した次第です。この「法律相談コーナー」で採りあげた諸問題も、毎月のことですから、数十編に達しているわけで、それらを取り纏めても一冊の書物にはなりますが、これも、残念ながら、版権は研究所にありますので、今、私個人の名前で出版をするというわけには参りません。


 研修教室「債権管理教室」を主催する!

経済研究所では、研究所の所員自らが講師となって、さまざまな「研修教室」を開催していました。
それは、「新入社員研修教室」「応対マナー研修教室」などに始まり、かなり専門的な分野にまで及んでいました。
私は、担務は「法務相談」でしたから、「手形・小切手教室」と「債権管理教室」を担当しました。

手形や小切手については、銀行員としての常識的なことをお話すれば、事足りたと思いますが、「債権管理教室」の方は、「危険な兆候の見分け方」からはじまり、「法的整理手続き」に至るまで、かなり突っ込んだ話になりますので、その準備が大変でした。
集合物譲渡担保、取引先が不幸にして倒産に至った際の商品引揚げと詐害行為取消権の問題点などは、最高裁の判例に当ったりして、勉強したものです。

また、どの金融機関にも、債権の管理回収を専らの仕事としているセクッションがあります。この仕事は、”経験”がものをいう世界ですから、その道一筋でやってこられた方のお話は、説得力があり、自分の実務経験の不足を痛感しました。理論ではないのです。やはり、場数、それも修羅場を多く踏んでいる人にはかないません。債権回収にまつわる具体例は、この方々のお話が、大いに参考になりました。

時間的には、朝10時から夕方5時までの長丁場でしたから、その労力たるや、大変なものです。これを、一人で担当するには、体力も必要です。もちろんマイクは使用しましたが、リポビタンDを2本飲んでも、お終いの頃になると、声もかすれてしまう程、ハードなものでした。今、考えてみると、実際、よく出来たなあと思います。やはり、若さと熱情がなければ出来ることではありません。

そのお蔭で、今はもうすっかり忘れてしまっていますが、倒産処理法の分野には、かなり強くなりました。
法的な理論面よりも、むしろ実務面を重視し、特に、差し支えのない範囲で、自分の経験談(勿論、失敗例も含めてですが)を語ったりしたせいか、ご好評を頂けたのではないか!と自負しています。勿論、銀行の内部事情をお話するわけにはゆきませんが、金融実務上の債権回収手続きは、一種独特のものがありますから、外部の方から見ると物珍しさもあったのかも知れません。


 短期大学の教壇に立つ!

経済研究所では、いろいろと貴重な経験をしましたが、4年間ほど、ある経済短大で教鞭を取った経験があります。
他人の前で話をすること、それ自体は、研修教室の講師や企業・団体主催の講演会の講師を、もう何度も経験しているので、何とも思いませんでしたが、「教える」ということは、また、別問題です。

しかも、相手の年頃は、19〜20才程度の女子学生ですからいくら朴念仁の私でも、少しは、胸の高まりというものが、あってもおかしくはありません。確かに、あの当時はまだ私も若かったし、心ときめくというか、ウキウキ、ドキドキする気持がしたものです。そのくらいは、こんな堅苦しいことを書いている私ですが、お判りになって下さいネ。でも、実際にやってみると、特に「上がる」ということもなく、自分のペースで授業を進めることが出来ました。ただ、私語、つまりお喋りが多いのには参りました。参ったというよりも、”カッカきた””頭にきた”と言った方が良いでしょう。しかも、まともに私の話を聞いてくれない!私が真面目に話をしているのに、いきなり、「先生、スキーに連れって!」なんて言い出す始末でした。

ところで、私が話をした、その相手の方というのは、女子学生から、企業の経理・営業担当者など、さらには企業経営者に至るまで、実に年令層が、幅広いということになります。
やはり、相手の年令層によって、話のスピード、言葉遣い、話の難易度などを変えなければいけませんから、さまざまな年令層の方々を相手に話をすることが出来たのは、非常にいい勉強になりました。もっとも、中には、こちらのペースで一方的に喋りまくってしまったというケースも、勿論ありましたが・・・。

さて、この短大で教鞭を取っているうちに、今度は、市内のある専門学校からも、講師派遣の要請があり、そちらも受持つハメになりました。その学校で「国際教養学科」を新設したので、ある教科を担当して欲しいというのです。
第一回生は、僅か7人だけの小人数でしたから、「教壇に立つ」というよりも、ゼミナール形式で授業を進めました。といっても、雑談に費やす時間が多く、それも、私の方が、若い女性のお喋りを、聞いてやっていた、と言った方が当っていたのかも知れません。いや、むしろ自分の方で、それを楽しんでいた!と言った方が、より正確でしょう。

でも、ペーパーテストは、ちゃんとやりましたよ。もっとも、中には、白紙の答案用紙の最後に「先生、一年間お世話になりました。お仕事頑張ってやっ下さいネ!」なんて書いてあるものもあったりして、「ふざけるんじゃあねえ」とは思いつつ、結構、こちらの方も楽しく過ごさせて頂きました。ま、中には、結構カワイイ女子学生もおりましたしネ。だからと言って、ペーパーテストの採点に手加減を加えるなどということをした記憶はありません。記憶にないということを申し上げているのであって、したのか、しなかったのか、という事実認定の問題はまた別の話ですけれども・・・。
今でも、街で彼女達にバッタリ出会うことがあります。もう、2人もお子さんを連れたお母さんになっていたりしてますが、お子さんそっち抜けで、若かりしころの思い出話に花が咲いたりすることもあります。「美人は、トシを取らないから特だネ」「やーだ先生、堅物先生がいつから、そんな冗談を言えるようになったの?」なんていう会話も、たまにはありまして、私としても、懐かしい思い出です。



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